誰かが引いた線の世界で


仕事の出張で久しぶりに東京へ行ってきた。

私が今住んでいる場所とは全く別の世界に見えた。

都市、街というのは計画されデザインされ造られた「物」。

ペンと定規で作られた世界。

この世界では食べ物も水も全てデザインされたシステムの中にある。

それはこの世界の中の僅かな誰かの頭の中から生まれた世界。

みんなその中で作られた線の上を歩いて同じパスを使って同じ乗り物に隙間なく乗ってそれぞれのグループごとの建物に入っていく。


それが毎日の繰り返し。

私もかつてはそうだった。何の疑問もなく。

昨日、ある人が壇上で言った言葉

「もう東京ばかりが良くなっても仕方ない」

「東京が良くなる」とはどういう意味だろうか。

東京がさらなる線で埋め尽くされ、さらなるシステムの中にもっと隙間なく人を詰め込んで、欲望を刺激するたくさんの物を作り、形の無い世界にまでたくさんの線を引いて形の無いお金がたくさん生まれて僅かな誰かのところにお金が集まることだろうか。

だとしたら、これ以上そんな世界は広げないでほしい。

壇上のあの人は知らないかもしれないが

あの場にいた私達の仲間は

東京やそれに似た都市を飛び出したら人間とそれ以上にたくさんの生き物が線のない空間の中に心地よく生きていることに気づいている。

そして、そこにも線はある。だけど先人が大切に築いてきた線はとても温かい。


人間が人間らしく心地よく幸せに生きる世界が良いとするなら、そこはすでに

「東京より良い」

東京より良い世界にみんなどんどん飛び出して行ってるんじゃないだろうか。

そこには野菜やお米が美味しく育つ土と空気と水がある。

山には木ノ実がなり川では魚が取れて時には獣をとってそのお肉を頂くこともある。

そうやっていただく恵は本当に美味しくて私達の体も心も満たしてくれる。


その世界は季節とともに動いていて次から次へと溢れる色が現れる。

それは街のネオンよりも豊かで美しい色。


街のショーウィンドウなんて比べものにならないスケールで私達に「シーズン」を伝えてくれる。



今、私達のたくさんの仲間がこの素晴らしい世界を繋いでいこうとしている。

全てが東京になってしまわないように。


人間の温かい営みを紡いでいくために。

壇上のあの人はまだ知らないかもしれないが

きっと東京だってまた良い世界になっていける。

祈り生きること

先日小正月のどんど焼きが行われた。

道祖神と呼ばれ、木の支柱に藁や茅、杉の葉を積み上げて昨年のしめ縄や書初めと共に火をつける。

木の枝に米粉の団子をつけたのをどんど焼きで焼いて食べると厄除けになるという。


普通1月の15日に行われるが最近はその週の日曜に行われることもある。

私は秋山郷の二つの集落で道祖神に参加することができた。
14日の日曜日、この集落は15日の月曜日では仕事で人手が確保できないのではと1日早く行われた。
こちらの集落は若手の60代後半が3名。あとはみんな80を超えた高齢の方々ばかり。

世帯数は12件で一人暮らしも多い。どんど焼きを行う観音様まで歩いてくる事も容易ではない。

当日準備は集落の方3名と私達。火付けには集落の方4名と私たち。

とてもささやかだったが、真っ白な雪に覆われたモノトーンの風景に燃え盛る炎は力強く鮮やかで、聳える山峰を見つめるおじさんの背中は凛々しかった。

その光景は切なくも美しかった。

おじさんは私達にこの地域の事を色々と話してくれた。そして、注連縄が焼けた炭を舐めれば厄除けになり、炭を混ぜた黒い雪玉を屋根に投げ越えればその年は火事の難から逃れられるそうだ。

私達もそれに習い炭を舐めた。

人が減り、年を取っても伝統行事を続ける。出来るうちは続ける。

それはこれが年の初めの大切な祈りだから。この土地の神と共に生きてゆくことそのものだから。

この道祖神に立ち会い「ここで生きること」ただそれをまっすぐに見つめてきた人々の人生に出会うこができた。

そのあとは集落の共同温泉に入り薪ストーブの前でお茶を頂いた。

いつまでもじんわりと温かかった。

翌日15日月曜。雪山と空の青白さが残る朝もう一つの集落を訪れた。

約束の時間にお宮に向かうとスノーロータリーで丁寧に除雪されていた。どなたの仕事かすぐにわかった。

何度も訪れている集落だが初めましての方が何人もいた。

道祖神に合わせて帰ってきた息子さん達が準備に集まっていた。よく会うおじいちゃんに顔が似ていてすぐにわかる。

手際よく準備を先導する二人はこの集落に住み日々守っている。

準備してあった茅の束、雪の下に埋めておいた杉の葉であれよと言う間にとても立派な道祖神が出来上がった。

午後の火付けにはおばちゃん達もみんな集まって来て、普段と違ってとても華やかだ。

おばちゃん達は普段あんまり外に出ないし猿が入って困るので家の鍵もかけている。

毎月の集落回りでも会えない人も多いので、この日は皆さんに会えた事が何よりも嬉しかった。

普段は秋山郷と離れて暮らしていてもちゃんと故郷に想いを寄せている事が伝わって来る。

勢いよく上がる煙、ボトボトっと木に積もった雪が落ちて、久しぶりに会って話し声が幾つも重なってみんな笑顔で、木の枝につけた団子をどんど焼きで焼いてみんなでお互いの団子を食べて。

この日の集落は色どりに溢れていた。

ここも若手が68歳と76歳であとはみんな80前後90代。世帯数も7件と本当に過疎高齢の集落。

でもこうやって季節の節目にみんなが帰って来る。それまで日々集落を守って待つという気概。

自分しかいなくても年を取ってきても出来るうちは続ける、やっぱりそれは生きることそのもの。

そのあといつもお世話になっているご夫婦のお宅にお呼ばれしご馳走をいただいた。

私達のような者が入り地域おこしをするという任務の中で過疎高齢の静かな集落に何があるのかをこの目で確かめて感じる事はとても大切なことなのではないかと思う。

地域おこしだとか振興だとか活性化だとか。それ以前にそこに生きているという事をまっすぐに見つめたい。そこから見えてくる事がたくさんあると思う。

私達は都市に生まれ育ち社会という「システム」の中で生きてきた。

消費し続ける世界に疑問を感じ人として人らしく生きる道を目指して「田舎」に向かった。
ここに生きる人たちは日々自然と向き合って生きてきた。そしてこの山に生きてきた事にコンプレックスもあったかもしれないし、都市に憧れもあったかもしれない。

私達とこの地域の人達が同じ価値観で物事をみるのは難しいかもしれない。だけどお互いに自分の中にない価値観を認め合いそれぞれがここで生きたい形を作り続ければいいし、幸せを作っていければいいんじゃないかと思う。

どんなに人が減って年を取ってもそこに生きている人がいる限り諦める事は何もないと確信した二日間だった。


そこにある山は今日もとびきり美しい。

見失いがち

本格的に雪が降りはじめた

いろいろと心行ったり来たり

雪のおかげで考える時間はたっぷりある

今の仕事はあくまで仕事

雇用関係有り

仕事のための生活補助

当たり前だけど仕事ありき

地域に関わるこの仕事とは何なのか

そこが一番大切なのだがそこが一番わかりにくい

定住するかどうかはあくまで結果で

ましてや結婚なんて個人の事

しかし、それがこの仕事の成果の一つのように捉えられることもあり戸惑う

とまあもやもやするわけで

任期の間にどのくらいのことができるかわからないけど

それなりに自分なりに結果は必要かなと思うのです

まずは、顔をあげること

そして見渡すようになり

良いところに気づき

腰があがって

立ち上がって

やっと一歩が出て

少し歩いてみて

そしたらもう少し歩きたくなって

そしたらもっともっと歩きたくなって

欲しいものがみえてきて

そこへぐっと手を伸ばして

つかむ

そしたら今度は楽しくなって

走りたくなる

こうやって一人の人間が立ち直っていく過程と同じように考えてみるとちゃんと段階が必要なんだということに気づく

今地域はどの段階にあるのかをちゃんとみなければいけない

段階を見ずに急に手を引っ張ったり指摘したりしては傷つくかもしれない

そしたらまた下を向いてしまうだけだ

一人の人間の立ち直りと考えるの中で他者が才能を生かして活躍することはどう作用するのだろうか

つまりは他所から来た者が特技を生かして地域で自己願望を実現し活躍する事は地域にどう作用するのかという事だ

二つのパターンがあるように思う

何やら新しい人が来た

何かはじめたようで賑やかしい

なんだかとても楽しそうだな

ちょっと遊びに行ってみるか

うらやましいな

自分も何かやってみよう

となる積極的なパターン

何やら新しい人が来た

何かはじめたようで賑やかしい

私には出来ないけどまあ頑張って

となる人ごとなパターン

人ごとになるのは当然

だって自分には同じことは出来ないのだから当然の反応だと思う

だから自己願望の実現は定住が決まってから取り組むべきのような気がする

つまり雇われて仕事として取り組むうちは主体は自分ではないのだから地域を主体として考えなければいけない

顔をあげるの段階から地域を主体として

定住や起業の準備も公にしてよいのだけど

あくまで三年間の有期雇用の中で自分の役割を考えて動く

地域が主役になってこないとその後の定住も起業も結局自分だけの事になってしまうのだろうし
自分が居なくなればそこには今まではなかった穴がぽっかりとあいてしまうかもしれない

まずは顔をあげてもらって周りを見渡してもらって良いところに気づいてもらう

そこから目指して頑張っていこう

私自身もいつも色々見失いがち

迷いながらも頑張っていこう

半年過ぎた

栄村秋山郷へ来て早いもので6ヶ月も経っていた。

本当に風が走るような毎日で

私の心も目まぐるしく変わり

このブログの更新も5月で止まっている。

(そして投稿しようとしている今はすでに12月)

こちらは紅葉がいよいよ色づき始めてすっかり冬の匂いさえする。

(というか、書きかけのうちにすでに積雪)


私の田畑は無農薬と手作業に徹した。

一人でする稲刈りは色々な意味で大変。

お手伝いしてもいただいたが私の妙なこだわりに付き合わせてなんだか申し訳なかった。

しかし、はぜ掛けがよく似合う山の景色だ。

だけど、はぜ掛けをするうちは想像以上に少ないし手刈りなんてイベント以外ではやらない。

私も機械を勧められたがどうしても使う気になれなかった。

機械を購入するのにどれだけ働くかと考えたら、メンテナンスを考えたら、燃料を考えたら…手作業の方が効率的だと感じるから。

なかなか人には分かってもらえないと思うので基本的には言わないようにしている。

正直、この場所での米作りはそもそも無理が大きいのは否めない。

山の水はとても冷たいし、真夏でも冷房の必要無い涼しさで日照も少ない。

早稲でも成長はぎりぎりのところだし実りも少ないし、味も特別良いわけでも無いように思う。

とてもじゃないが商売で米作りをするのは難しい。そう、そもそもこの地域での米作りは商売するための稲作ではないのだ。

それでもお米が食べたくて、一生懸命山を開いて田んぼにした。

自分達が食べるための米作り。

やはり機械を使ってまでやる米作りではないように思う。

機械を使い農薬や肥料にお金をかけたら赤字。米を買ったほうが安く済む。

それでも米は重要な主食で、自らの食糧確保の為の稲作はやりがいがある。

人にあげる喜びもある。

米作りを通じて繋がる人間関係もある。

重労働ではあるが身の丈にあった小さな稲作は無駄ではないように思える。

田植えや草取り稲刈りはいい運動にもなる。

山の中で風や陽を感じて土に触れる事が与えてくれるものは何かしらある。

正直、次の米作りには迷いがある。

ここに遠慮なく時間をかけられるかわからないから。

でも、こんな米作りを無理なくできる事が

良い環境のようにも思う。

春になって雪がなくなるまでに決めればいいか。