見失いがち

本格的に雪が降りはじめた

いろいろと心行ったり来たり

雪のおかげで考える時間はたっぷりある

今の仕事はあくまで仕事

雇用関係有り

仕事のための生活補助

当たり前だけど仕事ありき

地域に関わるこの仕事とは何なのか

そこが一番大切なのだがそこが一番わかりにくい

定住するかどうかはあくまで結果で

ましてや結婚なんて個人の事

しかし、それがこの仕事の成果の一つのように捉えられることもあり戸惑う

とまあもやもやするわけで

任期の間にどのくらいのことができるかわからないけど

それなりに自分なりに結果は必要かなと思うのです

まずは、顔をあげること

そして見渡すようになり

良いところに気づき

腰があがって

立ち上がって

やっと一歩が出て

少し歩いてみて

そしたらもう少し歩きたくなって

そしたらもっともっと歩きたくなって

欲しいものがみえてきて

そこへぐっと手を伸ばして

つかむ

そしたら今度は楽しくなって

走りたくなる

こうやって一人の人間が立ち直っていく過程と同じように考えてみるとちゃんと段階が必要なんだということに気づく

今地域はどの段階にあるのかをちゃんとみなければいけない

段階を見ずに急に手を引っ張ったり指摘したりしては傷つくかもしれない

そしたらまた下を向いてしまうだけだ

一人の人間の立ち直りと考えるの中で他者が才能を生かして活躍することはどう作用するのだろうか

つまりは他所から来た者が特技を生かして地域で自己願望を実現し活躍する事は地域にどう作用するのかという事だ

二つのパターンがあるように思う

何やら新しい人が来た

何かはじめたようで賑やかしい

なんだかとても楽しそうだな

ちょっと遊びに行ってみるか

うらやましいな

自分も何かやってみよう

となる積極的なパターン

何やら新しい人が来た

何かはじめたようで賑やかしい

私には出来ないけどまあ頑張って

となる人ごとなパターン

人ごとになるのは当然

だって自分には同じことは出来ないのだから当然の反応だと思う

だから自己願望の実現は定住が決まってから取り組むべきのような気がする

つまり雇われて仕事として取り組むうちは主体は自分ではないのだから地域を主体として考えなければいけない

顔をあげるの段階から地域を主体として

定住や起業の準備も公にしてよいのだけど

あくまで三年間の有期雇用の中で自分の役割を考えて動く

地域が主役になってこないとその後の定住も起業も結局自分だけの事になってしまうのだろうし
自分が居なくなればそこには今まではなかった穴がぽっかりとあいてしまうかもしれない

まずは顔をあげてもらって周りを見渡してもらって良いところに気づいてもらう

そこから目指して頑張っていこう

私自身もいつも色々見失いがち

迷いながらも頑張っていこう

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半年過ぎた

栄村秋山郷へ来て早いもので6ヶ月も経っていた。

本当に風が走るような毎日で

私の心も目まぐるしく変わり

このブログの更新も5月で止まっている。

(そして投稿しようとしている今はすでに12月)

こちらは紅葉がいよいよ色づき始めてすっかり冬の匂いさえする。

(というか、書きかけのうちにすでに積雪)


私の田畑は無農薬と手作業に徹した。

一人でする稲刈りは色々な意味で大変。

お手伝いしてもいただいたが私の妙なこだわりに付き合わせてなんだか申し訳なかった。

しかし、はぜ掛けがよく似合う山の景色だ。

だけど、はぜ掛けをするうちは想像以上に少ないし手刈りなんてイベント以外ではやらない。

私も機械を勧められたがどうしても使う気になれなかった。

機械を購入するのにどれだけ働くかと考えたら、メンテナンスを考えたら、燃料を考えたら…手作業の方が効率的だと感じるから。

なかなか人には分かってもらえないと思うので基本的には言わないようにしている。

正直、この場所での米作りはそもそも無理が大きいのは否めない。

山の水はとても冷たいし、真夏でも冷房の必要無い涼しさで日照も少ない。

早稲でも成長はぎりぎりのところだし実りも少ないし、味も特別良いわけでも無いように思う。

とてもじゃないが商売で米作りをするのは難しい。そう、そもそもこの地域での米作りは商売するための稲作ではないのだ。

それでもお米が食べたくて、一生懸命山を開いて田んぼにした。

自分達が食べるための米作り。

やはり機械を使ってまでやる米作りではないように思う。

機械を使い農薬や肥料にお金をかけたら赤字。米を買ったほうが安く済む。

それでも米は重要な主食で、自らの食糧確保の為の稲作はやりがいがある。

人にあげる喜びもある。

米作りを通じて繋がる人間関係もある。

重労働ではあるが身の丈にあった小さな稲作は無駄ではないように思える。

田植えや草取り稲刈りはいい運動にもなる。

山の中で風や陽を感じて土に触れる事が与えてくれるものは何かしらある。

正直、次の米作りには迷いがある。

ここに遠慮なく時間をかけられるかわからないから。

でも、こんな米作りを無理なくできる事が

良い環境のようにも思う。

春になって雪がなくなるまでに決めればいいか。

サヨナラから

サヨナラからはじまることが

たくさんあるんだよ

本当のことが見えてるなら

その思いを捨てないで

super butter dog 「サヨナラCOLOR」より


今朝、お天気が良かったので家の近所をお気に入りのコーヒー片手にお散歩して来ました。

家から歩いて1分のところなのに1ヶ月経って初めて気付いた素敵な場所へ。


大きい山が毎日観たくて

自然の中に毎日居たくて

その思いが本当になったんだと、改めて気づきました。

でも、こんな今日があるのは

たくさんのサヨナラがあったからでもある。

そんなことを思いました。


そこから旅立つことは

とても力がいるよ

波風立てられること

嫌う人ばかりで

でも 君はそれでいいの?

super butter dog 「サヨナラCOLOR」より

私はいつも、自分に嘘がつけなかった。

周りから見たらただ我慢が足りないように見えたと思うし、

言いたいことばかり言っているように見えたんだろうと思う。

でも、自分に嘘をついていたときは

苦しくて苦しくてたまらなかった。

でも、あるときから

「腑に落ちないことはしない。」

「行きたい方へ素直に行く。」

「好きという気持ちを大切にする。」

それを貫くことにした。

でも、その代わりにたくさんサヨナラしなきゃいけなかった。

孤独や不安を感じたこともあったけど

不思議と自信がわいてきた。

ずっと嫌いだったことが好きになった。

でも、本当は嫌いだったんじゃなくて、好きになりたくて仕方なかったことだったんだろうと思う。

でもうまく好きが見つけられなかったんだろう。

今まで上手くいかないことばかり、前に進めないばかりのことが、どんどん変わっていった。

そして…


私は今、ここにいるんだなあ。

これからもいろんなことがたくさん起きて、

不安になったり怖くなったりすることもたくさんあるかもしれなけれど

私は、自分の好きを信じて今ここにいる事を

いつも心に忘れずいたいと思いました。

これからも私を大切にしていこう。

段々と訪れる

先週末はちょこっと帰省。愛知県岡崎市のカルジーナの森さんで春の森のいちに出店してきました。


秋山郷はまだ芽吹きも僅かなのに、愛知はすでに緑が盛んで夏を感じる暑さ。

まるで浦島太郎の気分でした。

準備不足で申し訳なかったのですが、相変わらずカルジーナの森さんは素敵な場所で、出店者の皆さんやお客様やお友達との新しい出会いや嬉しい再会に久しぶりの心踊る楽しさを感じました。

今回は取り置きで製作したベンガルトラがSNSでも反響いただき驚きでした。


さて長野県を縦断する愛知県への旅でしたが、桜の花を追いかけるようなドライブでした。

当たり前ですが、季節は南から北へ。

下から上へ少しづつ移り変わっていくのですね。

栄村でも村内集落の標高差が最大で800メートルあります。

下の集落ではすっかり春が訪れています。

私の住む秋山郷はというと?

芽吹きまではまだもう少しかな。
カモシカさんも春を待ってるね。

菜々な毎日

山菜、野菜、茸、豆

自然の恵みのご馳走

こちらでは「ごっつお」という。

栄村、秋山郷は厚い雪下に山菜たちが

春はまだかと、飛び出さんばかりに待ちかまえている。

姿を現わす時まで、白い雪にしっとりと包まれているからか

アクがなくて柔らかくてとても美味しい

雪まち山菜として売り出している

これほどの豪雪地は珍しいから

これは希少なごっつおだろう。

この写真の美しいおかずのパレット

地元の奥さんから頂いたおすそ分け

恵みのもとの人だから

素材が生きる味付けをよくご存知だ

ちょうどいい歯応えとか

ほろ苦さが生きる火加減とか

当たり前で意識してらっしゃらないかもしれないが

やっぱりこの素材が生きる料理は

よく知っている人にしか出せないと思う

それこそが地の宝だろう

きっと秋山郷ではそんなお母さん、おばあちゃんが当たり前に美しいごっつおを作っているのだろう

私もお粗末ながら自炊に勤しむ日々である

春を探しに

 

芽吹きの季節

野鳥たちも活発にさえずりを聴かせてくれる

ここは日本有数の豪雪地、長野県栄村 秋山郷

厚く雪に覆われていた村も

陽の光を浴びて雪解け水が勢いよく流れている


雪国の春は一斉にくるらしい

桜も新緑も一緒に

全ての命が一気に芽吹く


木の芽も膨らんでいる

若芽が開く頃には

私の暮らしも少しは落ち着くだろうか

新緑が輝く頃には

私も動き出せるのだろうか

今日は暖かい日差しを受けて

春を探しに歩いてみた